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クリーンデバイス社会実装推進事業/デザイン多用途型省エネディスプレイ

ガラス窓に新しい機能を持たせる透明ディスプレイを実用化

シャープディスプレイテクノロジー株式会社、国立研究開発法人産業技術総合研究所

Aug, 2022

INTRODUCTION 概要


「大袈裟ですけど当時は、世界中の窓を全部透明ディスプレイにするくらいの勢いでやりたいと思っていました」──昔から漫画や映画の中で近未来的な表現の一つとして登場していた世界観を、液晶で実現しようとしたのがシャープディスプレイテクノロジー株式会社の花岡一孝さんです。液晶の高速応答化を目指し、カラーフィルターを使わずにカラー表示を実現する手法を開発する中で、透過性のあるディスプレイができるのではないかと考え、2012年ごろ開発に着手したのがきっかけでした。技術的な課題はあったものの、透明ディスプレイの実現自体は進んでいきましたが、次に立ちはだかった課題は、実際に導入しようという企業がなかなか現れなかったことです。技術ありきでそれ自体は目を引いても、どこでどう使えばいいのかを示せていなかったことが理由の一つです。その解決を目指して、2015年度から2年間、NEDOの「クリーンデバイス社会実装推進事業」に参画し、透明ディスプレイの普及に向けた実証実験を行いました。また、産業技術総合研究所の星野聰さんの協力も得て、プロジェクトで得た実証データを元に、透明ディスプレイの特性評価手法の国際標準化にも取り組みました。最終的に、この評価法はテクニカルレポートとして国際標準化され、開発した透明ディスプレイを市場に普及させるうえでの優位性の確立につながりました。幾多の困難を乗り越えた透明ディスプレイは現在、アミューズメント業界で採用されつつあります。シャープディスプレイテクノロジーはさらなる技術革新を図りながら、あらゆる「窓」がディスプレイになることを目指しています。

BIGINNING 開発への道


液晶駆動の高速化がきっかけで生まれた透明ディスプレイ

窓ガラスがテレビになる──テレビがまだブラウン管という時代に、漫画や映画の世界で描かれた近未来の姿に透明ディスプレイはよく登場していました。いまでこそ、ブラウン管に代わり液晶ディスプレイなどの薄型ディスプレイが登場したことで、壁掛けテレビまでは実現しています。街角で窓ガラスに映像が映っているというのを見たことがあるという人もいると思いますが、それはプロジェクターの映像を投影したもの。窓ガラスそのものが映像を映し出すというデバイスは、この透明ディスプレイの開発に着手した2012年には製品として存在していませんでした。

当時シャープ株式会社(2020年にシャープディスプレイテクノロジー株式会社へと分社化)に所属していた花岡一孝さんは透明ディスプレイの開発に着手した経緯を振り返り、こう語ります。「もともと透明ディスプレイを作るために開発をスタートさせたのではなく、液晶を高速で駆動する仕組みを研究開発して実現の可能性が見えたとき、その派生としてバックライトを取り払えば透明ディスプレイになるのではないかと考えたのがきっかけです」(写真1)。

花岡一孝さん

写真1 透明ディスプレイの開発について振り返る、当時シャープに所属していた花岡一孝さん

液晶カラーディスプレイの基本的な仕組みは、表面に並べた赤・緑・青(RGB)3色のカラーフィルターの後ろからライトを当て、フィルターを通過した光で映像を表示するというものです。その際、光が通る液晶層にかける電圧を調整することで、カラーフィルターごとに通す光の量を変え、色や明度を変化させてフルカラーを実現しています(なるほど基礎知識参照)。この仕組みだと、カラーフィルターが入射光の2/3をカットしてしまい、透過率が低くなってしまうため透明ディスプレイ実現には不向きです。

一方、花岡さんが進めていた液晶の高速応答化技術では、色をつくる方式を一新。カラーフィルターを用いずに、1点の光の色がRGBと高速に順次切り替わり、液晶層にかける電圧を調整して各色の明度を変えるフィールドシーケンシャル方式(時間分割方式)を開発しました。この方式だと人間の目にはRGBの3色が混ざった状態で見えるため、フルカラー表現を実現しています(図1)。透過率は、カラーフィルターがなくなった分、従来の4倍ほどとなる20%を超え、発色もいいディスプレイが生まれました。

液晶ディスプレイにおける、従来のカラーフィルターを用いた方式と今回のフィールドシーケンシャル(FSC)方式の違い

図1 液晶ディスプレイにおける、従来のカラーフィルターを用いた方式と今回のフィールドシーケンシャル(FSC)方式の違い。バックライトがRGB各色に一定期間で切り替わるFSC方式ではカラーフィルターがなく、その分透過率を上げられるが、液晶の応答速度の速さを要求される

新たな方式の開発によって偶然、透明ディスプレイの可能性を見出したわけですが、液晶の高速応答化を実現するためには、透明ディスプレイの開発をスタートしたあとも苦労の連続でした。

「透明ディスプレイを開発する前から課題だったのですが、ディスプレイに残像が残る、いわゆる焼き付きがひどくて……。液晶をスイッチング素子で応答させる複雑すぎることをやっていたので、その影響で電圧の非対称性が上がってしまい、焼き付きにつながってしまっていました。そのため、材料を変えてよりシンプルかつ同様の特性が得られる方法にガラッと切り替えています」と語るのは、透明ディスプレイの開発に携わったシャープディスプレイテクノロジー株式会社 研究員の佐々木貴啓さんです(写真2)。

佐々木貴啓さん

写真2 高速応答の液晶開発に携わった佐々木貴啓さん

なんとか液晶の高速応答を実現していたものの、「焼き付き」という解決の見えない課題のために、これまで研究してきたその手法をあっさり見限るという決断をするのは、開発の当事者にとって、そう簡単なことではありません。また、フィールドシーケンシャル方式を実現させるためには、ほかにも課題を抱えていました。

佐々木さんは「速く応答する液晶パネルというのは、その時に通過できる光の量が少なくなるためどうしても暗くなってしまいます。明るさと速さを両立させるのは非常に難しい課題です。通常のディスプレイであれば、バックライトを明るくすることでカバーできますが、透明ディスプレイは向こう側が透けて見えなければなりません。そのためごまかしが効きません。材料開発や基板構造などを工夫してバランスを取る作業が必要でした」と言います。

今回採用した表示方法において、液晶は、電圧をかけると“立ち上がり”、切ると“寝る”という特性を持ちます(なるほど基礎知識参照)。この特性を用いて透過させる光の量を調整するのですが、寝ているものを素早く立たせることは比較的簡単なものの、立っているものを素早く寝かすのは非常に難しいと佐々木さんは言います。

「素早く寝かすためには、液晶の弾性定数を大きくする必要があります。実は我々が通常使っている液晶は、10種類程度の成分のブレンドによってできあががっているのですが、その比率の調整によって弾性定数を含めたさまざまな物性値を変化させることができます。この調整によって素早く寝かせることは可能なのですが、あまりにもやりすぎると今度は電圧をかけた時の液晶の動き、つまり立ち上がりの方が不十分になり、これは主にカラー表示色の純度やコントラスト特性、駆動電圧等に影響を及ぼします。このバランスをどうとるかをかなり試行錯誤しました。今回、素早く寝かすことを優先して通常ではありえないような成分構成をとりつつ立ち上がり特性や信頼性にも配慮して、実用化に耐えうる高速応答性を実現しています」(佐々木さん)

液晶の高速化は、駆動するための回路側も課題の1つでした。透明ディスプレイの商品化に尽力したシャープディスプレイテクノロジー株式会社 上席主任研究員の島田伸二さんは、「フィールドシーケンシャル方式で色を出すためには、RGBを順々に点けていくわけですが、各色を点ける間に黒の時間をつくらないと色が混じってしまいます。例えば、1ミリ秒後に液晶を立たせて、3ミリ秒後に寝かせるといった、液晶の動く時間のタイミングをコントロールしなければなりません。実際には、きれいに液晶が戻らないので、どこまでを容認してどの程度の色域を確保するのか、目標を定めて色の純度と輝度を高めるために、回路グループがかなりがんばりました」と語ります(写真3)。

島田伸二さん

写真3 透明ディスプレイの商品化や量産を指揮する島田伸二さん

先に述べた通り、そもそも液晶ディスプレイにはバックライトが必要ですが、そのバックライトを取り払って透明ディスプレイを実現させています。「実は透明ディスプレイでは側面からLEDライトを照射し、導光板により正面に光を散乱させています。この仕組み自体はバックライトと同じなのですが、光を散乱させるため、どうしても透明がぼやけてしまいます。そのため透明だけど光が散乱するという、矛盾する導光板を開発する必要がありました。具体的には、後ろからの光はある程度通しつつ、横から入る光は散乱させる最適なディンプル(突起)をつくることで解決しています」と花岡さんは言います。

こうした技術開発を経て、展示会に出品したのが2013年から2014年ごろ。当時の反応について花岡さんは、「展示会では非常に受けが良く大変好評でした。会社もかなり面白がっていましたし、いろいろな企業へ見せに行ったのですが、では実用的には何に使いましょうとなったときに、話が止まってしまいました」と振り返ります。

これまでにないデバイスをつくったものの、それをビジネスとしてどう活用していくべきかは後回しになってしまっていたということです。そのため、驚いてはもらえるものの、その先につながらなかったそうです。

「当初は、すごいデバイスができたぞという気持ちのほうが強くて。結局、商品化の目処が立たないまま1年半ぐらいの月日が過ぎていました。そんなときに、NEDOのクリーンデバイスの用途拡大に向けた実証事業の話が舞い込みまして、これを使って商品化を目指そうと考えました」(花岡さん)

BREAKTHROUGH プロジェクトの突破口


社会実証実験を行ってくれる企業探しに奔走

ちょうどその頃、NEDOは「クリーンデバイス社会実装推進事業」(2014〜2016年度)という、省エネルギーポテンシャルのある優れた技術やデバイスの用途を見つけて実証し、実用化につなげる事業を行っていました。シャープが開発したディスプレイは、その透明感のほかにも、省エネという特徴があります。RGBの各LEDを時間差で点滅させる時間分割方式を採用しているため、液晶ディスプレイの中でも消費電力が少ないのです。シャープはその強みを生かし、「デザイン多用途型省エネディスプレイ」という研究テーマでNEDO事業に応募。2015年に採択され、2年間の実証を開始しました。シャープは透明ディスプレイという、まだ身近なところで使われていない技術を用いた製品を普及させるための課題を整理し、解決のアプローチを検討しました。具体的には、透明ディスプレイ設置の有効性(利便性)や実使用環境下における視認性への影響(さまざまな状況における使用感)を明確化していくための特性評価方法の確立を目指し、社会実証実験の実施と測定法などの標準化に取り組みました。

花岡さんは、「正直、商品化はなかなか難しいのではと思っていました。駆動の仕方が複雑で、かなり高価なものになってしまうからです。また透明といいながらも、実際には透過率は25%程度のため、暗かったことも懸念材料でした。それでもなんとかユースケース得るために、さまざまな企業へ出向いて話を進めたのですが、公共の場所に設置することに対してはかなりの抵抗がありました。10数社回りましたがなかなか実証実験が行えず、時間ばかりが過ぎていきました」と言います。

参加したプロジェクトの期間は2年間。短い期間内に社会実証実験を行い、標準化の道筋を立てていく必要があります。そうした中で、NEDOという公的機関のプロジェクトということもあって、ようやく興味を示した企業が現れました。最初に実証実験を行うことになったのが、東京地下鉄の豊洲駅にある転落防止柵です(写真4)。

豊洲駅の転落防止柵に設置された透明ディスプレイ

写真4 豊洲駅の転落防止柵に設置された透明ディスプレイ。カラー表示できちんと映像として認識できる(左)。モノクロ表示だと、背景が透けて見えるのがよくわかる(右)(資料提供:シャープディスプレイテクノロジー株式会社)

「転落防止柵は電車が見える透明なガラスが利用されており、そこに注意喚起などの表示ができれば面白いのではと考えました」と花岡さん。実際には、総合的な判断からホームのいちばん端の転落防止柵に取り付けることとなり、人目に付きにくい環境下で実施するという社会実証実験の難しさもありましたが、関係者の努力の結果、実証実験自体は約1年間行うことができました。

花岡さんは、「この実証実験は非常に大きな成果でした。地下鉄のホームは、背景が暗くガラスに光が反射するため、映像が見づらいことがわかりました。また雨こそ降りませんが、湿度が高かったり、鉄粉がかなり舞っていたりする過酷な環境でも問題なく使えたという、信頼性という意味での実証実験にもなりました」と成果を語ります。

続いて、協力してくれたのが埼玉新都市交通です。こちらは、営業車両の運転席扉にある窓に取り付けられました(写真5)。透明ディスプレイにより進行方向が見えつつ、かつ情報表示も見えるというもの。広告表示なども想定した実証実験です。

埼玉新都市交通の運転席扉にある窓ガラスに設置した透明ディスプレイ

写真5 埼玉新都市交通の運転席扉にある窓ガラスに設置した透明ディスプレイ。カラー表示でも外光があってもきれいに見え、黒色もしっかり出ている(左)。モノクロ表示だと、背景がより一層見えるので、透明感がよくわかる(右)(資料提供:シャープディスプレイテクノロジー株式会社)

「埼玉新都市交通の担当の方が非常に乗り気になってくださいました。実証実験を行うには、車体にネジ穴を開けて取り付ける必要があるのですが、普通なら営業車両に穴を開けるなんて抵抗があるものです。それを快諾していただいたことに感謝しています」と花岡さんが語るように、公共の場での実証実験を行うということは、協力する側にも覚悟が必要になります。

この実証実験では、外部の業者を使って1300人以上の乗降客にアンケートを実施。透明ディスプレイを設置した車両の乗客の方に、このディスプレイの印象や必要性、どこを改善すべきか、ほかのどのようなシーンへの設置が有効かなどの項目に回答してもらいました。その結果、近未来感があり非常に期待感が大きかったといいます。ただ、この2つの実証実験では、測定法などの標準化に向けての知見となる、実際に被験者を集めての体験や評価を行うことはできませんでした。

日本のディスプレイ業界が優位に立つべく試行錯誤

そこで測定法などの標準化については、国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)の電子光基礎技術研究部門主任研究員である星野聰さんとタッグを組んで実施しました(写真6)。

星野聰さん

写真6 標準化のための人間工学的実験を行うために参加した、産業技術総合研究所の星野聰さん

「新たなディスプレイデバイスに対し、標準化へ向けた環境づくり。特に今回の場合は公共の場での社会実装試験を行うため、どういった項目を評価すべきなのか。これはシャープさん1社のことだけでなく、日本のディスプレイ産業全体として役立つ評価指標でなければならないため、産総研の公的な研究機関の役割として今回のプロジェクトに参加しました」と星野さんは当時を振り返ります。

普段はOLED(Organic Light Emitting Diode、有機発光ダイオード)や有機半導体を利用したトランジスターの研究、評価を中心に行っている星野さん。人間工学的実験は初めてで、まずは詳しい方と事前にどういう環境で実験すべきか綿密な相談をして臨んだといいます。

「産総研では人間工学的な研究も行っていて、そうした実験をする場合の、倫理面での安全性や個人情報の保護などをきちんと行っており、内部の倫理委員会を通したうえで実験を行わなければなりません。こうした新たなデバイスの場合は前例がないため、公共の場で被験者実験を行うのは、安全性を担保できるのかという話になり、すぐには実証実験に挑めませんでしたね」と星野さんは語ります。

公共の場での実証実験は、透明ディスプレイの商品化への課題を洗い出すだけでなく、標準化を目指すうえで、どのような測定方法をすべきかの参考にもなります。

花岡さんは、「測定するうえで標準化が必要で、国際的にも認めてもらわなければなりません。日本としてディスプレイメーカーや測定メーカー、材料メーカーなど、その中から有志を募ってコンソーシアムを作り、測定方法などを固めようということになりました」と説明します。

透明ディスプレイへのアプローチは、シャープが開発しているフィールドシーケンシャル方式の液晶ディスプレイだけではありません。ほかの競合メーカーではOLEDを利用した透明ディスプレイもあり、それぞれ一長一短があります。液晶の場合は、どうしても透過率が低くOLEDの1/3ほどしかありません。一方OLEDは黒の表現が難しく、暗いところでは発色がよく映像が見えるものの、外光が入るとほとんど見えなくなってしまいます。液晶は、外光があっても明るく見え、黒色も表現可能です(写真7)。

シャープに展示されている透明ディスプレイ

写真7 シャープミュージアム(奈良県天理市)に展示されている透明ディスプレイ。液晶を使った透明ディスプレイは、外光の影響が少なく、カラー表示でもくっきりとした映像を映し出せる(左)。また透過率は現状低いものの、モノクロ表示では背景を生かした映像表現を可能にしている(右)

花岡さんは、「普通のディスプレイの場合は、評価測定を暗室で行います。余分な光があると正しく評価できないからです。しかし、透明ディスプレイの場合は、外光が重要です。外光をどう規定していくのか、我々の主張を海外の人にも理解してもらう努力が必要でした」と言います。

つまりOLEDの開発陣からすれば、従来のディスプレイと同様に暗室で評価したほうが好結果につながりますが、それでは液晶の有利な点が反映されず、公平な評価にはなりません。OLEDパネルでは韓国のほうが優位に立っており、透明ディスプレイは外光が重要だという主張が国際的に通らないと、日本が優位に立てなくなります。日本の強みをしっかり生かせる評価方法にすることが必須だったわけです。

そのため、電子ディスプレイの国際規格団体であるIEC/TC110に提案、承認してもらうべく、日本国内の対応組織であるJEITA(一般社団法人電子情報技術産業協会)でディスプレイ分野の共通項目標準化を担う分科会の主査にシャープの社員が就任して、今回のプロジェクトを遂行しました。

もちろん、OLEDパネルで優位に立つ韓国のサムスンにも委員会を起ち上げてもらい、その中で議論を重ねています。花岡さんは、「やっぱり自社が良くなるような測定法にしたいというのは、どの企業も思っていることです。そうした中で、液晶に有利な外光をどう規定すべきかを人間工学的性能評価を行って示し、主導していけるかにかかっていました」とその重要性を語ります。

人間工学的性能評価はプロジェクト終了半年前にシャープの実験室で実施

実証実験はもう一つ行っています。これまでの2つの実証実験の結果、外光の変化に大きく影響されることがわかったため、電車の窓に取り付け、外光が大きく変わる状況での変化を確認することになりました。埼玉新都市交通での実験のように、営業車両の窓に装着して行えればいいのですが、やはり安全性が担保できずに断念。そんなときに三菱重工業株式会社の協力を得て三原にある実験線を使えることになりました(写真8、9)。しかも、被験者は三菱重工業の社員を準備してくれるという厚遇ぶりです。

窓に透明ディスプレイを設置

写真8 三菱重工業の実験線では、窓に透明ディスプレイを設置。楕円形の実験線のため、さまざまな状態の外光が窓から降り注ぐ。この検証では、スモークフィルムを垂らすことで、スモークガラスの場合にどうなるかも行われた(資料提供:シャープディスプレイテクノロジー株式会社)

スモークガラスではない状態でも検証

写真9 スモークガラスではない状態でも検証。約20人の被験者による実験が行われ、映り込みやチラツキは気にならなかったという(資料提供:シャープディスプレイテクノロジー株式会社)

3つの実証実験により、透明ディスプレイは外部の環境によって大きく見え方が変わってしまうなど、さまざま知見が蓄積され、標準化には評価する環境をどうすべきか考える必要があることが確認されました。

星野さんは、「シャープの柏事業所には、照明やディスプレイを評価する実験室があり、ディスプレイの前後の照度を自由に変化できる設備があるため、どのくらいの照度で評価すべきかを検討しました。地下鉄の駅のホームや外を走るときの照度などを参考に再現しながら、建築基準法をはじめとしたさまざまな評価基準を加味しつつ人間工学的性能評価を行い、評価標準化手法などの指針を決めていきました」と言います。

結局、被験者20人を集めて人間工学的性能評価を行えたのは、プロジェクトがスタートしてから1年半以上経った2017年1月のこと。ですが、この評価は国際標準化を目指すうえで重要な材料となり、プロジェクト終了後の標準化までの取り組みを後押しすることができました。重要課題であった外光を入れるという目標は国際的にも受け入れられ、2017年3月の時点でISOのテクニカルレポートという形で登録されています(表1)。「デバイスを測定する際はISOやIECの規格に則って行わなければならないのですが、その一歩手前の段階である、テクニカルレポートという形で発行されました。遵守する義務はありませんが、測定するときには参照しましょうというもので、カタログなどでうたうときは、参照しないと信憑性が損なわれます。これは一つの大きな成果だったと思っています」と花岡さんは語りました。

人間工学的性能評価の内容と結果

表1 人間工学的性能評価の内容と結果。これにより、透明ディスプレイ社会実装上の課題の抽出、共通仕様、評価標準化手法に関する指針や傍証を得た

プロジェクト終了後もJEITAおよび、IEC/TC 110のワーキンググループにおいて、継続的に議論を重ね、翌年の2018年に承認されました。星野さんは、「今回のプロジェクトは満足にマンパワーを割けなかったという思いがあったのですが、シャープさんをはじめ日本のディスプレイ業界がかなり厳しい競争のなか、かなりがんばっていただいたので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と言います。

FOR THE FUTURE 開発のいま、そして未来


アミューズメント業界に採用され商品化を実現

NEDOプロジェクトのおかげで、なんとか実証実験が実現し、標準化にはたどり着いたものの、それがすぐには商品化へとはつながりませんでした。実証実験で行った転落防止柵や電車内への導入にも至っていません。

その要因の一つとして、駆動回路のコストが高く、それを受け入れてくれる市場を見つけることが大変な点が挙げられます。花岡さんは、「FPGA(Field Programmable Gate Array)という集積回路を使って製作していたのですが、当初はかなりの個数を使っていました。それではコストがかかりすぎるということで、プロジェクトに参加している最中も開発を続けて、最終的には一つにまとめていますが、まだまだ高いというのが現状です」と語ります。

そうした中で商品化までたどり着いたのがアミューズメント業界です。島田さんは、「アミューズメント業界、例えば、遊戯機器のディスプレイというのは、お客さまにインパクトを与えるものを常に求めていて、発注されればそれなりの数量が出ますので両者の思惑が合致したのだと思います」と説明します。

透明ディスプレイを利用した遊戯台はすでに稼働しており、顧客からは迫力が増したとかなり好評のようです。ほかの同業企業からの引き合いもあり、実際に稼働している遊戯台を見て、別の業界からのオファーも期待できます。

透過率の向上とディスプレイの大型化が課題

とはいえ、まだまだ課題は山積です。「サイズを大きくしてほしいという要望が多いですね。アミューズメント業界に限らず、百貨店やほかの業界の方々からもそうした声をいただいております。ただ、サイズを大きくすると走査線の数が多くなり、応答が間に合わなくなってしまいます。半導体の駆動性能や液晶の応答速度、LEDの輝度の改善など、さまざまな点の改善が必要になります」と島田さんは言います。

また、星野さんは透明ディスプレイについて次のように語っています。

「電車に実装された実験に同行したとき、単に窓ガラスがディスプレイに変わっただけでなく、大人も子供も期待に胸を膨らませていた感じがしました。実際のユースケースとして広告媒体を発想しましたが、当時はまったく相手にしてくれませんでした。透明なディスプレイは広告とは関係なく、重要なのはコンテンツだったからです。ただコロナ禍になってから、人と人の間に衝立が生まれて、まさにそういうところにディスプレイが入ってくるのではと思っています。シースルーで向こう側が見えるということは、ディスプレイを介して見ている人同士のインタラクティブなところに、新たな可能性があるのではと感じています」

実際、シャープはモノクロタイプを利用した衝立の商品化を行っています(写真10、動画1)。透過と散乱によって白色と透明を表現でき、大型化も難しくはないため、さまざまな用途の利用が考えられています。また透過性を高めるべく、偏光版を使わずにカラー表示ができるような商品も開発しているとのことです。

白と透明の表示が可能なパーティション

写真10 白と透明の表示が可能なパーティション。カラーと違い大型化も可能なため、さまざまな用途に利用できる

動画1 透明ディスプレイを用いたパーティションが動作している模様(資料提供:シャープ株式会社/シャープディスプレイテクノロジー株式会社)

透明ディスプレイの将来について島田さんは「将来的には、自動車業界に参入したいですね。フロントガラスにヘッドアップディスプレイとして装着するなど、自動運転と組み合わせて利用してほしいと思っています」と語り、花岡さんは「やはり家の建材として、窓ガラスがディスプレイになったら面白いと思っているのですが、それには相当な透明度が必要だと思います。自動車ヘの装着もそうですが、採用されるためには高い信頼性が要求されますし、雨風はもちろん太陽光も当たるので、そうしたなかでも問題なく動くディスプレイにしていけたらと思います」と語ります。

標準化に向けて人間工学的性能評価に取り組んだ星野さんは「今回のような実際に実用化に向けた作業というのは、エンジニアリングというものがあって、コストを考え世の中に出しても問題なく、しっかり評価したうえで生産性も確立しなければなりません。産総研は、実用化を目指すための基礎基盤的な研究が中心のため、こうした体験はなかなかできないので、貴重な経験となりました。前例がないとなかなか受け入れてもらえない、そこにどういう課題があるのかを抽出しどう試すのか。NEDOのプロジェクトとしてもあまり例のない挑戦だったと思います」と言います。

NEDOプロジェクトに採用されたことで、透明ディスプレイの実用化は進みました。しかし、ユースケースとして具体的な利用先が見えてくることで、乗り越えなくてはならない課題が明確になってきたことも事実です。さらなる展開に向けて、透明ディスプレイ開発の可能性に懸ける技術者の歩みが止まることはありません。

開発者の横顔


どうやってラクをするかの先にアイデアがある

中途採用でシャープに入社した花岡一孝さんは、「私にとっては憧れの会社。そんな会社に入社することが決まったときは少々驚きました」と語ります。

2012年から透明ディスプレイの開発部隊全体を見ることになり、今回のプロジェクトを牽引してきました。

「昔、液晶でテレビは無理と思われていたものが、いまではスタンダードですよ。その技術をもってすれば、透明ディスプレイも実現すると当時は思ってやっていました。カラー化と透明度を上げるという両立は難しく、いろいろなことを考えていました」

アイデアの源は「どうやって楽をしようか、楽をしていいものを得ようか、それにはどうしたらいいのかを考えると、時々かぁっと湧き上がるときがあるんですよね。ディスプレイ以外のものを見て発想を得たり、行き詰まったときは、それまでのものをバッサリ捨てたりするくらいの思いっきりの良さが必要だと考えています」という花岡さん。

今回のプロジェクトでいちばん印象に残ったこととして、「実証先の役員の方とテレビ電話で打ち合わせしていたときに、先方があまりにも盛り上がりすぎたんです。でもその後にちょっとテンションの下がる発言をしてしまって、怒られてしまいました。翌日伺って謝罪したのですが、先方の熱意に圧倒されて感動してしまいました。貴重な経験をさせてもらいました」と語ります。

現在は、定年退職しディスプレイから離れてしまっていますが、同じシャープでマスクの製作に関わっており、また違ったチャレンジを続けています。

花岡一孝さん

元シャープディスプレイテクノロジー株式会社
開発本部 次世代技術開発統轄部
第一開発部 課長
花岡一孝さん

正直、大変なところへ配属されたと思っていました

2012年のころは社会人学生をしていた佐々木貴啓さん。2013年から花岡さんのもとで透明ディスプレイの研究開発を行ってきました。「当時の高速応答方式には焼付きの課題があり、同方式で検討していた透明ディスプレイを担当することになって、正直、大変なところに入っちゃったと思いました。この研究開発をやっていて幸せになったという話を聞いたことがないので」と当初の思いを語る佐々木さん。

「ただ、なんとか解決して、製品化までできたというのは、嬉しかったですね。やっぱりこれまで世の中になかった、ちょっと変わったものの開発部門として成果を達成した喜びは大きいです」とやりがいを感じています。

「NEDOさんのプロジェクトをやる前は基礎的な研究をし、プロジェクト後は量産化に取り組んでいます。三重県の多気工場で生産していますが、製品化となると信頼性や耐久性が重要になってくるので、工場と密にやり取りをしています」と現在も引き続き透明ディスプレイの研究開発に携わっています。

佐々木貴啓さん

シャープディスプレイテクノロジー株式会社
開発本部 次世代技術開発統轄部
第一開発部 研究員
佐々木貴啓さん

絵空事だったものを実現させたことは大きい

島田伸二さんは、NEDOのプロジェクトが終了後、基礎技術を量産化するところから関わっています。「以前は、多気工場で製造開発をやっていたのですが、今回は生産を多気工場に依頼する立場になりました」と島田さん。「新たに透明ディスプレイの開発に取り組んでいますが、もともとは研究所にいたので、基本的なことはわかっているつもりですが、ちょっと現場が長かったかもしれません」と語りました。

「世の中にそれまで使われていないものが出回るというは非常に喜びを感じます。もともと、こういった思想はありましたが、それを実現させたのは大きいことだと思います」と語る島田さん。今後のさらなる課題の解決と商品化が期待されます。

島田伸二さん

シャープディスプレイテクノロジー株式会社
開発本部 次世代技術開発統轄部 第一開発部 上席主任研究員 兼 新規事業推進統轄部 第一推進部
上席主任研究員
島田伸二さん

現実的なユースケースを描けないと実用化にはつながらない

「このプロジェクトの話をいただいたとき、省エネ性が高く付加価値のある新たなディスプレイが、実用化一歩手前の段階と聞き、通常のディスプレイからもうちょっとインタラクティブな機能が今後加わっていくものと考えていました。そのため私としては、いろいろと課題を抽出しつつ、どういったところへこの技術を入れていけばいいのかがわかると、普段我々がやっているデバイスの研究にも役立って、企業を巻き込みながら、技術開発プロジェクトへつなげられるのではと、そういう観点で参加しました」と語る星野さん。今回のプロジェクトでは2年という短い期間で、普段行っている研究とは異なる人間工学的評価を行わなければなりませんでしたが、星野聰さん自身も社会実装実験のお願いをしに企業を訪ねています。

「広告媒体として交通広告に強い企業へ伺いお話をしたのですが、広告主からすると、広告としてペイし、満足感が得られるか否かが重要でディスプレイはなんでもいいというレベルでした。この新しいデバイスを普及させるために、どんなユースケースを考えるかと言ったとき、どのレベルの人が何を考えるのかで、大きく変わってくるので非常に難しいし、そこが重要であることを、身をもって体験しました」

プロジェクト終了後は、また普段の研究活動をしている星野さん。「もともとは企業で働いていましたが、産総研へ来てからは、ディスプレイデバイスの応用研究をずっとやってきました。どういう材料を使って、どういう作り方をして、どういう性能が出せれば、日本のディスプレイ産業が国際競争力につながるのか、割と現実的な発想をしてアイデア出しをしています。企業出身だからでしょうか、産総研のなかでは、どちらかというと珍しいタイプなのではないでしょうか」とご自身の研究活動について語っています。

星野聰さん

国立研究開発法人産業技術総合研究所
電子光基礎技術研究部門 メゾスコピック材料グループ
主任研究員
星野聰さん

なるほど基礎知識


液晶の基礎知識と焼き付きの原因

液晶とは、電気的な刺激を与えると、光の通し方が変わる物質の状態です。1968年にRCA社のハイルマイヤー博士らのグループによって、この性質を利用した表示装置が最初に作られました。。その後、1973年にシャープが発売した電卓「EL-805」に液晶が採用され、これが世界初の実用化製品となりました。

2000年代に液晶テレビが登場して“液晶のシャープ”などとうたわれるほど高品質な製品を提供していますが、液晶の黎明期からしっかり技術を磨いてきた結果だったのです。

液晶ディスプレイで用いられる液晶の駆動方式はさまざまです。基本的には電圧をかけると液晶分子が直立し、かけないと寝た状態になることを利用して、光が通る量を調整(図2)。主に、液晶分子に電圧をかけないと透過した画面になる「ノーマリーホワイト」のTN(Twisted Nematic)方式と、電圧をかけないと黒い画面になる「ノーマリーブラック」のVA(Vertical Alignment)方式やIPS(In Plane Switching)方式があり、1ドット当たりでRGBの光をコントロールすることでカラーを実現しています。たとえば光をまったく通さない状態であれば黒色、逆なら白色(バックライトの色)となるわけです。

本稿の透明ディスプレイが採用しているのは、ノーマリーホワイトのTN方式。これによりトラブルで電源がカットされても、明るさや透明さを保つことができます。

液晶モニターの仕組み

図2 特定角度の光を通過させない2枚の偏光フィルターの間に液晶分子を置き、電圧によって分子の状態を変化させることで光の通過をコントロール

液晶の応答速度を上げるには、液晶が寝る速度をいかに速くできるかにかかっています。そのために、さまざまな液晶材料を混ぜることで調整します。また電圧をどれくらいかけるかでも、液晶の動きは変わってきます。

動画を流しているぶんには問題ありませんが、静止画をずっと表示している状態が続くと、常に同じ電圧がかかった状態が続くことになります。そうすると混ぜている液晶材料によってイオン性不純物や電荷が電極付近に溜まってしまい、電圧を掛けない状態になっても液晶が完全に寝なくなり、少しだけ光が通る状態になってしまいます。これが焼き付きと呼ばれる現象です。何も映像を写していない状態でも、文字がうっすら浮かんでしまいます。

今回の開発では、この焼き付き現象を解消する手段が見つからず、別の方式を採用することで回避しています。

NEDOの役割

「クリーンデバイス社会実装推進事業」
2014~2016年度

NEDO内担当部署:IoT推進部

我が国のエレクトロニクス産業においては、機器の低消費電力化など省エネルギーポテンシャルを有している一方、開発された当初は価格が高く仕様や用途も限定されているため普及には至っておらず、革新的デバイスの新規用途開拓が強く求められています。

NEDOはデバイス企業とそのサービス企業の連携を促進し、より社会課題解決および社会価値の向上に資する新たなユースケース(具体的な製品とサービスの明確化)を創出し、革新的デバイスの普及を加速させるため信頼性・安全性や標準化・共通化の方針の策定を実施しました。

この事業で2014年度は5テーマ、2015年度は6テーマを採択し、信頼性・安全性、標準化・共通化について、事業終了後も国際標準化などを働きかける体制を構築し、国際標準(IEC)のNP提案登録とフォーラム標準の登録に至りました。

当時のNEDO担当者の声(栗原廣昭さん)

このプロジェクトは、省エネルギーポテンシャルのある優れた技術やデバイスのユースケースを見つけて実証し、実用化につなげるというものです。このような新しいデバイスを普及させることで、省エネルギー社会への貢献や、日本の産業競争力の向上を目指していました。プロジェクト全体で11テーマがあり、透明ディスプレイはそのうちの1テーマです。このような新しいデバイスを業界や市場に受け入れてもらうためには、安全性や信頼性の検証、そして標準化の道筋を立てていくことが重要。これらを2年間で行うという、チャレンジングなプロジェクトでした。

実際に取り組んでいた当時は、ただただ研究開発したデバイスやユースケースが世の中の市場に出て、皆さんのより良い生活に役立って欲しいという思いでした。NEDOは、技術開発だけでなく、実用化や事業化に向けたマネジメントも行っていることを知ってほしいと思います。

透明ディスプレイは、電車や建物などの窓にはめこんで交通案内や情報を表示することができます。未来的で、私達の生活をより豊かにするものと期待できます。実際に、電車などの車窓に載せて実証実験をした結果、狙い通り、車窓から外の風景が充分にディスプレイ越しにみることができて、表示される画像も鮮明にみることができるということが実証できました。

2年という短期間では、後戻りや迷っている時間がありませんので、技術の専門家、標準化の専門家、事業化や実用化に詳しい経営アドバイザーの意見をいただきながら、プロジェクトの計画を立てました。また、透明ディスプレイは、公共の場所など屋内外の環境での利用を想定しており、周囲の光の強さによって映像の見え方が変わってしまうことから、実証場所の選定に苦労しました。その状況を解決してくれたのは、ディスプレイの性能を熟知されている、シャープさんの研究者や営業の皆様でした。理想とする環境を見つけてくださり、なんとか実証実験をやりとげることができました。

私自身も今回のプロジェクトを通じて、研究開発の現場で、事業者様に寄り添い、エンドユーザー様の目線で、プロジェクトに向き合うことで、難しい局面でも必ず道はひらけることを学びました。この経験を今後のプロジェクトの運営にも生かしていきたいと思います。

栗原廣昭さん

国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構
IoT推進部 専門調査員
栗原廣昭さん

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