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新エネルギー

地熱発電技術研究開発/発電所の環境保全対策技術開発/地熱発電所に係る環境アセスメントのための硫化水素拡散予測数値モデルの開発

大規模風洞実験からシミュレーションへ 地熱発電の環境アセスメントを飛躍的に効率化

一般財団法人電力中央研究所

取材:Oct. Nov. 2021

INTRODUCTION 概要


日本には世界有数の地熱資源があり、地熱発電は、天候や日照時間に左右されない再生可能エネルギーとして利用拡大が期待されています。一方、山間僻地に建設されることの多い地熱発電所は、建設に必要な環境アセスメントに時間とコストを要します。一般財団法人電力中央研究所には、長年、各種発電所の環境アセスメントやその技術開発を行ってきた知見があり、2013年にNEDOプロジェクト「地熱発電技術研究開発」に参画しました。これまで冷却塔から排出される硫化水素の拡散予測は、模型製作に莫大なコストがかかる大規模な風洞実験を用いており、半年近くの期間を要していましたが、これをコンピューターシミュレーションで代替する研究開発に取り組み、環境アセスメントに要する時間もコストも従来手法の半分以下に抑えることに成功しました。また、開発された数値モデルは環境アセスメントの標準的な手法を示す経済産業省の「発電所に係る環境影響評価の手引」に反映され、すでに4件(取材当時)の地熱発電所建設の環境アセスメントに採用されて地熱発電所の普及拡大を後押ししています。

BIGINNING 開発への道


地熱発電所と環境アセスメント

温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)を排出しない発電方法として、地熱発電をはじめとする再生可能エネルギーには大きな期待が寄せられています。しかし発電方式にかかわらず一定規模以上の発電所を建設・操業するためには、環境影響評価法に定められている環境アセスメントを実施しなければなりません。

地熱発電所については、出力1kW以上の場合、必ず環境アセスメントを実施すること、1万kW未満(7,500kW~)の場合は個別にその必要性を判断することになっています。電力中央研究所サステナブルシステム研究本部 気象・流体科学研究部門研究推進マネージャー 上席研究員の佐藤歩さんは、「地熱発電所の環境アセスメントの中でも、特に時間とコストを要するのが硫化水素の大気拡散予測です」と話します。硫化水素は温泉にも含まれている物質で、温泉の独特な臭いは硫化水素によるものです。

電力中央研究所は1951年に創設された電気事業共同の研究機関で、電気事業を支援する研究を総合的に行っています。発電所建設や操業に伴う環境アセスメントの実施や、アセスメントの実施方法の研究開発にも取り組んでいます。

「地中から取り出す熱水や蒸気には微量な硫化水素ガスも含まれます。地熱発電所では、硫化水素ガスを抽出して、多量の空気で薄めてから冷却塔上空に排出していますが(写真1)、硫化水素は環境への影響も懸念されるため、排出した硫化水素がどのくらいの濃度で地上に着地するのかを、環境アセスメントで評価するように求められています」と佐藤さんは説明します。

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写真1 地熱発電所の冷却塔から出る水蒸気および白煙(微量な硫化水素を含む)。排出源の高さが低いことが地熱発電所の特徴。左上:上の岱地熱発電所(秋田県)、右上:柳津西山地熱発電所(福島県)、左下:葛根田地熱発電所(岩手県)、右下:葛根田地熱発電所の冷却塔上部 (出典:平成25年度~平成27年度成果報告書 地熱発電技術研究開発/発電所の環境保全対策技術開発/地熱発電所に係る環境アセスメントのための硫化水素拡散予測数値モデルの開発)

コストも時間もかかる風洞実験

研究開発に取り組み始めた当時、地熱発電所に適用できるような拡散予測数値モデルは開発されていなかったため、経済産業省が発行する環境アセスメントの実施方法のガイドラインとも言える「発電所に係る環境影響評価の手引」には、風洞実験のみが硫化水素の大気拡散予測手法として記載されていました。

この場合の風洞実験とは、自然風を模した空気の流れを発生させることのできる実験室(風洞)を用意して、建物や地形の模型を配置し、気体の流れ方や煙の拡散濃度を測定する方法を指します(写真234)。

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写真2(左)、3(右) 千葉県我孫子市にある電力中央研究所の風洞実験設備

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写真4 風洞実験室に安定した風を送るための高さ4.5メートルの巨大な整流部

環境アセスメントにおいて硫化水素の拡散範囲を予測する場合、地熱発電所の建屋や周辺の地形の500分の1サイズ程度の模型を風洞実験室内に設置して、冷却塔の模型上部から空気とエチレンの混合気体を排出し、観測地点でのエチレン濃度を測定します(図1、写真56)。硫化水素ではなくエチレンを使用するのは、毒性が低いため実験の安全性を考慮してのことと、高精度の測定装置が比較的普及していることが理由です。

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図1 風洞実験での硫化水素濃度測定方法概略図 (資料提供:電力中央研究所)

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写真5 プロジェクトに使用された風洞実験用模型の一部分。クリーム色の建物が発電所建屋。指先にあるのが冷却塔

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写真6 風洞実験ではエチレンを使用して硫化水素の拡散の様子を再現する

こうした風洞実験には、模型の製作だけでも数千万円の費用がかかり、実験の期間も半年近くに及び、かかるコストと時間は莫大なものとなります。また、風洞では風向きが一方向のみに限定されるため、現地の風向に応じて模型の向きを調節しながら実験する必要があります。

小さく簡単な模型を使う場合はターンテーブルに載せて向きを変えながら実験できますが、地熱発電所の場合、風下方向に約1.5〜2km(模型では約34m)分の測定範囲が求められるため、ターンテーブルで回せるような大きさではありません。

南北、東西など、風向きを変えて測定するには、そのつど地形模型を分解して逆転させたり、入れ替えたりする必要があります。いくつものブロックに分かれた地形模型を、人力で組み直す作業を風洞内で何度も、何度も繰り返すことになり、組み合わせ作業にも多くの時間を要します(写真78)。

こうした理由から、地熱発電所の気象条件や冷却塔の排気条件等について、仕様をおおむね確定したうえで、必要な条件を厳選して風洞実験を行い、測定結果を得るという方式が採用されてきました。

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写真7 (左)風洞実験用の地形模型は持ち運びや組み替えができるようにブロックに分割されている 写真8 (右)プロジェクト当時の地形模型(2ブロック分のみ設置)を風洞内への設置する様子を再現

風洞実験室の利用が環境アセスメントの障壁に

プロジェクト開始当時の社会状況も、硫化水素の大気拡散予測のコンピューターシミュレーション化を後押ししました。もともと、地熱発電所の環境アセスメントに使えるような大型の風洞実験施設(図2)は、日本では数が非常に限られていました。当然、火力、原子力など他の発電方式の環境アセスメント等の業務にも使用されます。さらに、東日本大震災以降は、原子力発電所関連の実験が重なり、風洞実験室はフル稼働状態になっていました。

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図2 電力中央研究所の風洞実験室の概略図 (資料提供:電力中央研究所)

2011年の東日本大震災後に、地熱発電所を新規建設するに当たっては、環境アセスメントを一から行う必要がありましたが、経済産業省が行ったヒアリング調査でも「地熱発電所の計画を進めたくても、風洞実験室が使えないため環境アセスメントの実施に支障が生じる」という声が寄せられました。

そこで、ボトルネックとなっていた風洞実験を代替する大気拡散予測手法開発のため、NEDOプロジェクト「地熱発電技術研究開発/発電所の環境保全対策技術開発/地熱発電所に係る環境アセスメントのための硫化水素拡散予測数値モデルの開発」が2013年度に開始、電力中央研究所が参画しました。

コンピューターシミュレーション実用化に向けて新たな数値モデルを作る

2013年当時、経済産業省が発行した「発電所に係る環境影響評価の手引」には、「風洞実験に代替できる数値モデルが開発された場合は、それに基づく理論拡散式で予測する」という記載があり、環境アセスメントにシミュレーションでの予測が受け入れられる余地があることを示していました。しかし、地熱発電所用の数値モデルはまだ存在していませんでした。

当時、既に電力中央研究所には、火力発電所から排出されるSOxNOxの大気拡散シミュレーションの実績がありました。そこで、地熱発電所の硫化水素の拡散についても、この知見を用いれば新たな数値モデルの構築も可能と考え、研究開発に着手しました。

BREAKTHROUGH プロジェクトの突破口


プロジェクトの成否を分けた決断、何をシミュレーションするのか

プロジェクトの成否を分けた重要な分岐点は、プロジェクトの最初に訪れました。それは、屋外の現地観測結果をシミュレーションするのではなく、風洞実験の結果をシミュレーションするという決断です。

佐藤さんは、「そこは大きな問題でした。NEDOプロジェクト中の評価委員会で有識者の先生たちのご意見を伺いながら、風洞実験の結果をシミュレーションすることに合意を得ました」と話します。

「専門家からは、風洞実験をシミュレーションするのは、必ずしも実態に則していないのではないか、という意見もありました。しかしそれでは、風洞実験はどれほど実態を捉えているのか、という議論になってしまい、本末転倒になってしまうという結論に達しました」(佐藤さん)

本プロジェクトで「詳細予測モデル」を作り上げた、電力中央研究所サステナブルシステム研究本部 気象・流体科学研究部門 主任研究員の小野浩己さんは、この決断について、「屋外で起きる実現象を『正解』とするならば、現地に行って、観測をしなければなりません。仮に1週間の観測チャンスが与えられたとしても、環境アセスメントで扱う、その地の代表的な風が吹くかどうかはわかりません。風洞実験ではある程度自由に風をコントロールできます。それによって『正解』とするデータが効率的に取得できたからこそ、シミュレーションの研究開発が格段に進めやすくなりました」と言います。

「この決断があったからこそ、短期間で成果を出せた」と小野さんはこの判断の重要性を強調します。

シミュレーションと同時に風洞実験も行い、シミュレーション結果が風洞実験を再現しているのかを確認しながら研究開発を続けるという、本プロジェクトならではの研究開発方式が編み出され、モデル構築の研究開発は進んでいきました(写真910)。

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写真9 プロジェクト当時の風洞実験の様子、天井から下がる管が試料ガスの採取管 (写真提供:電力中央研究所)

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写真10 地形模型の設置(再現イメージ)

2種類のシミュレーション手法を開発

佐藤さんたちは、2種類のシミュレーション手法の開発を目標としました。一つは、パソコンで誰もが気軽に扱えるシミュレーションツールの「簡易予測モデル」です(図3)。

位置情報や標高などの地理条件、冷却塔排気に関する初期条件を入力すると瞬時にシミュレーション結果が得られます。専門家による特別な操作を必要としないため、地熱発電所の建設候補地を探す段階や建屋設計の検討段階などに、手軽に使えるのが特長です。

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図3 「簡易予測モデル」の操作画面 (資料提供:電力中央研究所)

もう一つは「詳細予測モデル」です。これはスーパーコンピューターを使って3次元の流体計算を行います。地形だけでなく、発電所の建屋の3次元形状も入力し、気流やそれによる拡散現象を詳細にシミュレーションします。それだけに計算量は膨大で、スーパーコンピューターが必要になりますが、風洞実験を再現できる精度が期待できます(図4、写真11)。

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図4 「詳細予測モデル」による硫化水素の着地濃度の可視化シミュレーション画面(資料提供:電力中央研究所)

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写真11 シミュレーションに使用される電力中央研究所のスーパーコンピューター

単純な地形でもシミュレーション困難だった研究開発当初

「詳細予測モデル」の研究開発を主に担当した小野さんは、「ラージ・エディ・シミュレーション(LES : Large Eddy Simulation)」(参照:「なるほど基礎知識」)という乱流解析手法を用いてシミュレーション(数値モデル構築)を行いました。この「LES」という手法を実用化につなげられたことも今回のプロジェクトの成果といえます。

それまで環境アセスメントに用いられる乱流解析手法として主流だった「レイノルズ平均モデル(RANS : Reynolds Averaged Navier-Stokes)」ではなく、あえて「LES」を使った理由を小野さんは、「『LES』では計算量は増えますが、『RANS』では地形や建屋が気流・拡散に及ぼす影響の再現に限界があることが指摘されていたからです」と説明します。

地熱を利用しやすい場所は、火山などの近くに位置しており、地熱発電所が建設される場所もたいていは山間部になります。そこで小野さんは手始めに単純な地形で「LES」を使ったシミュレーションを行い、風洞実験の結果と比較してみることにしました(写真12)。

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写真12 単純地形の風洞実験の様子 (写真提供:電力中央研究所)

ところが、従来使われていた「LES」の手法をそのまま流用しても、風洞実験とはかけ離れた結果になりました。ただし小野さんは、「とくに絶望するというようなことはありませんでした」と振り返り、その理由を「改善につながりそうなアイデアが次から次へと湧いてきたからでした」と話します(図5、写真13)。

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図5 単純地形の風洞実験とLESの比較(主流方向平均風速の鉛直分布) (資料提供:電力中央研究所)

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写真13 LESでのシミュレーションを実施する小野さん (画面はイメージ)

鍵は、計算用の格子の区切り方

次々と湧いてくるアイデアの中から、何を優先し、どう組み合わせるか。その決定には研究者のセンスが問われます。小野さんは、なぜこの結果になるのか、どこを改善すべきかを、試行錯誤を繰り返しながら独自に計算、分析していきました。一方、風洞実験担当者をはじめ、他のチームメンバーとのディスカッションも欠かしませんでした。

流体のシミュレーションでは、地上の空間を格子状に区分けして、それぞれの格子から格子へどのように物質が移動し拡散していくのかを計算していきます(図6)。小野さんの研究のうち、シミュレーション自体はパソコンからの遠隔操作でも可能ですが、計算をしながら何度も、何度も風洞実験室へと足を運んだと言います。

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図6 風洞の3次元空間を格子状に区切る (資料提供:電力中央研究所)

「風洞実験室の中にある模型を自分の目で確かめたことで、実際の気流が目に見えるわけではないものの、こんなに凹凸があるのなら、もう少し格子は細かく区切った方がよいかもしれないだとか、表面のざらつきも考慮に入れた方が良いかもしれないなどと、改善に向けたイメージが湧いてきました」と小野さんは言います。

小野さんがたどり着いた結論は、これまでの常識とは異なる方法を用いた方が風洞実験の結果を再現できるという、意外なものでした。

「地表面付近には非常に薄い格子を配置する、というのが流体シミュレーションのセオリーだったのですが、むしろ薄さは追求せずに、アスペクト比(縦方向と横方向の比)をあまり大きくしない方が風洞実験の結果に近づくとわかりました(図7)。これまでの経験とは真逆だったので驚きました」(小野さん)

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図7 地形を再現した3次元計算格子。地表面近くは薄くするものの、アスペクト比にも気を配る (資料提供:電力中央研究所)

コストも期間も半減、かかる労力の差は歴然

小野さんは、いくつもの改善を重ねて、地熱発電所の冷却塔から排出される硫化水素の大気拡散を風洞実験と同等の精度で再現できるシミュレーション(数値モデル)を世界で初めて完成させました。

地熱発電所の建屋の形状も硫化水素の拡散に大きく影響します。「詳細予測モデル」では、計算の精度に大きく影響する格子の区切り方が、数値モデルの実行者に依存しないよう、建屋の3D-CADデータを入力すれば、最適な格子に分割してくれるプログラムも開発しました(図8)。

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図8 3Dデータを取り入れて再現した冷却塔および建屋周辺の計算格子 (資料提供:電力中央研究所)

完成した詳細モデルを使って、実在の地熱発電所から、比較的なだらかな地形のA地点と、山あり谷ありの地形のB地点(図9)の2地点を選び、複数の風向、風速、気温条件についてシミュレーションを行いました。

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図9 実際の地形を基にシミュレーションと風洞実験を行った2地点の計算格子 (資料提供:電力中央研究所)

その結果、シミュレーションの着地濃度値と風洞実験値との差が、数値モデルの性能評価に一般的に用いられる指標の範囲に収まるようになりました(図10)。結果を目にした佐藤さんは「こんなにもきれいに一致するものかと衝撃を受けました」と当時を振り返ります。

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図10 風洞実験と詳細予測モデルの比較 (資料提供:電力中央研究所)

「詳細予測モデル」による硫化水素の拡散予測ならば、コストも期間も風洞実験の半分以下に抑えることができます。スーパーコンピューターで計算を始めると、1条件あたり、23日で結果が得られ、かかる時間の差は歴然です。しかも、風洞実験施設の空きを待つ必要がなく、計算環境さえ用意できれば、いくつもの環境アセスメントを並行して処理できる点も特筆すべき点です。

「発電所に係る環境影響評価の手引」への掲載

風洞実験を再現できるコンピューターシミュレーションの手法を実際に事業者に使ってもらうためには、先述の「発電所に係る環境影響評価の手引」(以下、手引)に掲載されることが必要です。

佐藤さんは、「電気事業の研究機関である私たちがどれほど正確だと主張しても、それだけでは社会に受け入れられることは困難です。事業者に都合の良い手法に変えたいだけなのではと疑問を持たれてしまっては意味がありません」と説明します。

その「手引」への掲載は、論文執筆による成果公知化、加えてNEDOとの連携業務の成果として、開発終了後1年余りという短期間で、2017年5月に実現しました。「風洞実験代替手法の開発は日本におけるエネルギーミックスのバランスに重要と、NEDOからも積極的に発信してもらえたことも、『手引』掲載への早道になったと思っています」と佐藤さんは言います。

2021年10月現在、全国4か所で、このプロジェクトの成果である「詳細予測モデル」を活用した環境アセスメントが行われ、地熱発電所の新規建設計画推進に貢献しています(図11)。

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図11 「詳細予測モデル」による地熱発電所冷却塔からの硫化水素拡散のシミュレーションイメージ (資料提供:電力中央研究所)

FOR THE FUTURE 開発のいま、そして未来


後継テーマでは実際に屋外での硫化水素濃度も調査

これらの成果は、後継テーマへも展開しています。今回の「地熱発電技術研究開発」プロジェクト内の後継テーマとして2019年度から始まった「冷却塔排気に係る環境影響の調査・予測・評価の手法に関する研究開発」では、シミュレーションや風洞実験室内だけでなく、実際に屋外の硫化水素濃度などをドローンやIoTデバイスを活用して観測しています。

佐藤さんは、「これらのデータとシミュレーションの結果を比較して、『詳細予測モデル』と『簡易予測モデル』をどのように使い分ければ良いかを検討したガイドラインを作りました」と話します。

「その内容は、『詳細予測モデル』は環境影響評価法の対象規模事業の環境アセスメントに、『簡易予測モデル』は環境影響評価法の対象規模未満の小規模発電所の環境アセスメントや、環境アセスメント手続き以前の立地条件検討、建屋建設位置検討、冷却塔仕様検討などに活用するというものです」(佐藤さん)

また小野さんは、「IoTを活用した新たな測器開発により、従来よりも手軽に硫化水素濃度を実測できるようになりつつあります。これによって、これまでは難しかった複数地点で連続的な硫化水素濃度を得る観測が実現するでしょう。また、我々は硫化水素の拡散を予測するシミュレーション技術も持っているので、IoT測器で実測したとびとびの地点のデータを、こうしたシミュレーション技術を活用して補うことができないかを研究しています」と話します。

地熱発電の導入促進へ、2021年度開始の新プロジェクトも

これまではなかった風洞実験の代替方法を世に送り出した二人は、「今後は『詳細予測モデル』を、より使いやすい方法に発展させたい」と声を揃えます。

現状ではスーパーコンピューターを使うため、風洞実験の半分のコストとは言え、それなりの費用がかかり、使用の順番待ちにかかる時間もゼロではありません。2021年度に開始された新しいNEDOプロジェクト「地熱発電導入拡大研究開発」では、よりいっそう簡易で効率のよいシミュレーション手法の確立を目指しています。

他にも、同プロジェクトでは気象調査の代替手法についても研究開発が実施されています。

環境アセスメントではまず、発電所建設予定地の気象調査を行います。ところが地熱発電所では、その多くは山間部になり、電源などのインフラが整備されていない場合もあります。そのため気象調査には多くの手間とコストがかかります。

それら課題の解決策として、上空のエアロゾルを無人で測定する装置や、ドローンを用いて発電所上空の気象調査を行うとともに、数値気象シミュレーションにより、現地気象調査を代替する方法を開発しています。

佐藤さんは「硫化水素拡散予測数値モデルの開発」プロジェクトを振り返り、「今回のシミュレーションの実用化には、研究所の先人たちが築いてくれた火力発電・原子力発電用の知見があったからこそと考えています。シミュレーションと風洞実験の組み合わせによる研究開発は、電力中央研究所の強みを活かせたプロジェクトでした。今後も地熱発電所の普及拡大のために、力を尽くしていきたいと思います」と言います。

地熱発電の導入促進に向けて、NEDO、そして電力中央研究所の挑戦は続きます。

開発者の横顔


基礎研究の成果を社会の檜舞台へ

本プロジェクトチームを統括した佐藤さんは電力中央研究所入所以来、発電所建設の環境アセスメント、中でも大気の研究を続けてきました。「今回のプロジェクトでは、『LES』というそれまでは専門家が研究のために使っていた手法を社会実装できた点が、とても意義深いと思っています」

「基礎研究の成果が実用化されるというのはそう簡単なことではありません。研究としていくら素晴らしい成果であっても、そのタイミングで社会が必要としていないと社会実装はできないからです」

「日本の空は先人たちの努力できれいになった分、地道な大気・流体に関する基礎研究が社会から注目される機会は少なくなりました。ですから今回、風洞実験に代わる環境アセスメント手法が求められていたときに、『LES』という新手法で良い成果が得られたことは、この上なくうれしく思っています」

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一般財団法人電力中央研究所

サステナブルシステム研究本部 気象・流体科学研究部門 研究推進マネージャー 上席研究員

佐藤 歩 さん

目標は社会実装分野のエキスパート研究者

「詳細予測モデル」の研究開発を主に担当した小野さんは建築学科出身です。博士課程では室内環境の解析について研究し、室内の気流と温度の分布をシミュレーションするために「LES」を活用していました。

入所後まもなく、地熱発電所の硫化水素拡散予測プロジェクトが立ち上がるという話を耳にした小野さんは、業務の合間を縫って「LES」のプログラムで、山岳地帯における気流計算ができないか、独自に試していました。

一方、その話を聞きつけた佐藤さんはプロジェクト入りを小野さんに打診しました。その後は、「『詳細予測モデル』のコードのほとんどを一人で書き上げました」と言うほど、本プロジェクトにのめり込み、その成果から佐藤さんからも厚い信頼を寄せられています。

本プロジェクトの成果について小野さんは、「入所数年で、主担当として、実用化に結びつく研究に取り組めたことは幸運でした」と話します。

「数値計算や流体力学分野には世界に名だたる研究者がたくさんいらっしゃいますが、こうした方々の研究成果を実社会の課題に応用する研究も必要だと思っています。私は今回の経験を生かして、社会実装分野でのエキスパートとして知られる研究者になろうと志しています」

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一般財団法人電力中央研究所

サステナブルシステム研究本部 気象・流体科学研究部門 主任研究員

小野 浩己 さん

なるほど基礎知識


流体シミュレーション手法「LES」

「詳細予測モデル」の研究開発に使用した「LESLarge Eddy Simulation)」は、乱流解析手法の一つです。それまで主流だった「RANS Reynolds Averaged Navier-Stokes)」に比べると計算量が多いのですが、スーパーコンピューターの性能向上とともに2000年ごろから注目され、使われるようになりました。

LES」では空気の流れの「ゆらぎ」をより正確に予測することができるようになっています。風が吹くときは常に一定の強さではなく、風が強くなったり、弱くなったりします。それが「ゆらぎ」です。

気流を計算するとき、その「ゆらぎ」を全て計算しようとすると、どんなに性能のすぐれたスーパーコンピューターを使っても計算が終わらなくなってしまいます(図12)。

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図12 ゆらぎの正体は大小様々な渦 (資料提供:電力中央研究所)

LES」では、大きな「ゆらぎ」は直接計算を行い、小さい「ゆらぎ」はモデル化して計算を簡略化し、計算可能な範囲に計算量を抑えています(図13)。

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図13 LESでは計算格子より大きな渦のみ直接計算する。小さな渦は簡略化して扱う (資料提供:電力中央研究所)

一方で、「RANS」は平均とそれからの「ゆらぎ」に分離して、平均だけを計算し、「ゆらぎ」の部分は、大きなものも小さなものも全てモデル化して簡略化する手法です。「LES」に比べて多くの「ゆらぎ」をモデル化するため、そのモデル化に大きく精度が左右されます。残念ながら、完璧なモデル化というのは今までに提案されておらず、計算精度には限界があります(図14)。

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図14 風の強弱を平均してあつかうRANS。ほぼ全ての渦を簡略化して扱うことに相当する (資料提供:電力中央研究所)

ただ、「LES」を使えば必ず「RANS」より精度が上がるというほど単純ではありません。「LES」で小さい「ゆらぎ」をモデル化する手法も多くの研究者から提案されており、そこから最適な手法を選ぶ必要があります。

また、計算による「ゆらぎ」にも、実際の現象を捉えている「ゆらぎ」と、数値計算の精度に依存する誤差としての「ゆらぎ」があります。誤差としての「ゆらぎ」をうまく抑えこまないと、実際には起こりえない現象が現れてしまうような「数値的破綻」が起こることがあります。

このような破綻を起こさないような工夫が必要ですが、あまりやりすぎると、計算は安定するものの、実際の現象を捉えている「ゆらぎ」も消してしまいます。このさじ加減が重要で、こうした工夫をうまく使いこなせて初めて「LES」の本領を発揮できます。

NEDOの役割

「地熱発電技術研究開発/発電所の環境保全対策技術開発/地熱発電所に係る環境アセスメントのための硫化水素拡散予測数値モデルの開発」
2013~2015年度

NEDO内担当部署:新エネルギー部

再生可能エネルギーの普及が望まれる中、世界第3位となる地熱資源ポテンシャルを有する日本では、地熱発電に大きな期待がかかっています。

NEDOは地熱発電の導入拡大を目的に、本プロジェクトにおいて、地熱発電システムや導入時の環境影響評価(環境アセスメント)を効率化・高度化するための技術開発を実施しました。

本研究開発項目で電力中央研究所が開発した「硫化水素拡散予測数値モデル」は、地熱発電所建設のボトルネックとなっていた環境アセスメントのコスト・期間を大幅に削減し、地熱発電の導入拡大を後押ししています。

後継事業として2021年度に開始したNEDOプロジェクト「地熱発電導入拡大研究開発」では環境アセスメントの新たな手法の開発や、IoTの活用による高度化を目指して研究開発が進められています。地熱発電の導入拡大に向けて、今後もNEDOの歩みは続きます。

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