CONTENTS
INTRODUCTION
導入で得られる4大効果介護負担軽減、安全な移乗、
リハビリ効果、排泄ケア
BEGINNING
介護される側も、介護する側も苦労の多いトイレへの移動
BREAKTHROUGH
座面の材料との出し入れの方法が大きな課題FOR THE FUTURE
患者に抵抗感がなく、介助者の経験値にも依存しない、
使いやすい機器と評判
FACE
岡谷発の元気な2.5次産業企業INTRODUCTION 概要
導入で得られる4大効果
介護負担軽減、安全な移乗、リハビリ効果、排泄ケア
日本は、65歳以上の高齢者が4人に1人という「超高齢社会」となりました。体の不自由な要介護者の生活の質を高めることや、要介護者を支える介助者の負担を軽くすることは、いま社会が直面している大きな課題です。なかでも、要介護者がベッドから起き上がり、トイレへ向かう移動を安全に行うことは、技術的にも難しく、本人にも介助者にも大きな負担となっているのが現状です。日常生活に欠かせないトイレの利用が大きな負担となること自体が、要介護者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を下げてしまうだけでなく、介助者の怪我につながる場合もあります。
とくに、介護保険制度がスタートした2004年以降、介護業務に従事する人が腰痛で労災認定を受ける件数が数倍までふくらみ、その原因の多くがトイレや入浴の際に要介護者を抱きかかえて移乗することによるものとされています。こうした状況を踏まえ厚生労働省では2013年に、実に19年ぶりに腰痛に関する労災予防対策指針を改定、これまで対象でなかった高齢者介護施設も指針の対象とした上で、移乗には介護機器を利用することや、単独での抱き抱えを避けるように指導しています。要介護者の移乗にかかわる介助者の負担軽減は、高齢者介護には、もはや避けて通れない重要な問題と言うことができます。
長野県岡谷市にある電子製品メーカー「イデアシステム株式会社」は、そうした指針の改定に先駆けて、2007年から、わずかな負担でベッドとトイレ間を移動できる「新型移乗器」の開発に取り組んできました。2009年度からはNEDO「福祉用具実用化開発推進事業」を活用して実用化を加速、2010年には製品化に成功、翌2011年の1月から販売を開始しました。イデアシステムの開発した新型移乗器は長野県内を中心に、すでに200台以上が病院や家庭などで使われています。
BIGINNING 開発への道
介護される側も、介護する側も苦労の多いトイレへの移動
寝たきりの生活を余儀なくされている要介護者がトイレに行くのは、とてもたいへんな作業です。ベッドから体を起こし、車いすなどに乗り移り、さらにトイレでは車いすから便座へと座り変えなければなりません。トイレを済ませてからベッドに向かうときも、これと逆のことが必要です。
介助者への負担も大きなものがあります。社会福祉施設で働く人がどのような作業をしているときに腰痛を発症するかを調べた滋賀医科大学の全国調査によると、介助者が要介護者を車いすなどに移す作業をしているときが一番多く、70%を占めました。最近の厚生労働省の調査においても、介護現場における腰痛労災の件数は、2002年の363件から2011年には1002件と増加の一途をたどっています。
肉体的な負担ばかりでなく、心の負担も考えられます。要介護者と介助者同士が、「たいへんな思いをさせている」「している」といったお互いの気遣いが、たとえ口には出さなくても、大きなストレスになりうるものです。
介護はできるだけ楽な方が要介護者にも介助者にも良い。そうした介護の現場での思いをかなえるような福祉製品が、長野県岡谷市の電子製品メーカーの手で誕生しました。要介護者・介助者お互いの肉体的にも精神的にも負担が減り、さらにプラスαの効果もある新しい福祉機器、その名も「らくらく移乗器 乗助さん」が、NEDO「福祉用具実用化開発推進事業」の支援で実用化、イデアシステムのある長野県内を発端に、家庭、病院、介護施設などで使用され、さらなる普及拡大が期待されています。
イデアシステムが開発、販売する「らくらく移乗器 乗助さん」。一見するとシンプルな製品だが、介護現場のニーズに応える様々な工夫が凝らされている
ベッドから移乗器へ、移乗器からトイレへ
この移乗器の実際の使い方を、介護を受ける要介護者の立場から見てみます。
まず、ベッドで横になっていた要介護者が上半身を起こし、ベッドから両足を地面に下ろし、ベッドに対して横向きに座った状態になります。
ここで、介助者により「乗助さん」の肘掛けなどのフレームがベッドに差し込まれます。これで、要介護者の体は「乗助さん」のフレームの内側に収まりました。
背中側に背もたれが取り付けられたあと、要介護者は前方の手すりを使って前かがみになり、すこしだけ腰を浮かせます。その間に、レバー操作で座面が背もたれの下からパタパタっと出てくるので、その座面に腰掛けることができます。これで、要介護者はベッドにいたまま「乗助さん」に移ることができました。
「乗助さん」の脚には車輪が付いているので、そのまま室内を介助者が「乗助さん」を押してトイレまで要介護者を容易に移動することができます(図1)。
図1 ベッドから乗助さんへ移る手順(左から右へ)(写真提供:イデアシステム株式会社)
トイレ内でも、要介護者は便座の位置で少しだけ前かがみになり、腰を持ち上げさえすれば、「乗助さん」の座面が今度は背もたれの下にパタパタっと収納され、便座に腰掛けて用を足すことができます。
トイレからベッドへ戻るときは、ほぼこの逆の手順で折り返しの流れになります。
四つの大きな効果、負担軽減、安全移乗、リハビリ、排泄ケア
「乗助さん」を使うことによる効果には、どのようなものがあるでしょう。開発をとりまとめた、イデアシステムの小林弘常務は、四つの大きな効果を挙げます。
まず、「介護負担の軽減」があります。要介護者がわずかに腰を上げることができれば、この移乗器を使うことができます。車いすや吊り上げ式リフトなどに乗るのとは違い、介助者が要介護者の体を、丸ごと支える必要がありません。小林常務は、「移乗が簡単にできるので、例えば自宅で "老老介護"をされているようなご家族でもお使いいただけます」と説明します。
次に「安全な移乗」も重要な効果です。要介護者が、ベッドから車いすなどの従来の移乗機器に移るときには、そのたびに体の向きを変える必要がありました。そこには、要介護者が転んでしまう危険が常に伴います。「乗助さん」では、体の向きを変える必要がないため、ベッドから移るときに転ぶおそれはほぼありません(図2)。
図2 従来の移乗方法に伴う、危険や負担
さらに「リハビリテーション」効果もあります。ベッドからの移動が容易にできるようになるため、乗助さんでトイレに移動して排泄することが、立ち上がり動作などの訓練になり、弱った足腰の機能を維持し、「体に残された機能をなるべく使うという、高齢者介護のリハビリテーションの考え方にかなっています」と小林常務は言います。
そして、「排泄ケア」もあげることができます。乗助さんを使うと、体の前方にある手すりに体を預けた状態で用を足すことができます。トイレでは体が前かがみになると、腸が真っ直ぐになって便が出やすくなるのです(図3)。しかも、介護者(施設職員、家族)の見守り負担も軽減でき、利用者も排泄時に一人でゆっくりでき、プライバシーを保てる利点もあります。
図3 排泄時に前かがみになることで直腸と肛門の角度が排泄に適した角度になり、腹圧も適度にかかり排泄しやすい姿勢になる(写真提供:イデアシステム株式会社)
創業者の個人的体験から、異業種参入に挑む
イデアシステムは電子機器の応用製品を開発し、販売してきた企業です。コンピュータの中に入れる基板や、画像モニタリングシステムをつくることを得意としてきました。そうした企業がなぜ、未経験で異分野の介護福祉機器に参入したのでしょう。
「乗助さん」の考案者であり、介護福祉機器分野参入を決断した小林睦巳会長は、こう説明します。「数年前、自分自身も病気で入院したことがあります。相部屋のお年寄りのみなさんが、トイレへの行き来に困っていました。おむつを付けたり、車いすでやっとトイレに行ったりしている方が多く、なんとかしたいと思ったのがきっかけです」
同社の電子機器の技術を活かすという点では、最終的な目標にしているのは「介護用ロボット」の開発です。「しかし、いきなりロボットの開発というのも無理があります。高齢者介護に本当に役立つ製品をつくるために段階を踏んで、まずは第1ステージとして、移乗器を開発することにしたのです」と小林会長は語ります。
こうして、イデアシステムの移乗器の研究開発が始まりました。
顧客の"ウォンツ"に応えるために試作の連続
イデアシステムでは、これまで顧客に「こんな製品こそが欲しかった!」と思われる製品を提供すること、つまり"ウォンツ"に応える製品の開発・製造をおこなうことを、重要な経営方針の柱として据えてきました。「乗助さん」の開発過程も、まさにそうした顧客の"ウォンツ"に応えるための試行錯誤の繰り返しが続く道でした。
小林常務は、「移乗器の開発に当たっては、利用者に少しだけ腰を上げてもらいさえすれば、簡単、快適に使用できることが、当初からの最大の技術目標でした」と言います。
"少しだけ腰を上げてもらえれば利用できる"
これを実現するには、要介護者がベッドに横向きに腰掛けた姿勢のまま、移乗器に乗り移れるようにしなければなりません。そのポイントは、背もたれも、座面も、"固定させない"ことにあります。
要介護者が前かがみになって腰を上げているうちに、背もたれと座面が、どこからか現れてセットされる。これが実現すれば、要介護者は腰掛けの姿勢を大きく変えずにベッドから移乗器に乗り移ることができます。
そこで、イデアシステムが最初に試作した移乗器では、プラスチック製の椅子そのものが左右に割れるというものでした。左右に分かれた椅子の背もたれと座面の間に要介護者が体を入れ、割れを元に戻してから座るというアイデアです。しかし、小林常務は、「人が座ったときに、椅子の強度が全く足りずに使えませんでした」と振り返ります(図4)。
その後も、様々な試作機をつくっていきました。座面のみ分割するタイプ(座面分割式)、要介護者の背丈よりはるかに高いところに座面と背もたれを収めておくタイプ(ハイバック式)や、座面ともども収められた背もたれを脱着するタイプ(ワンタッチスライド式)などです。しかし、移乗器が大きくなりすぎたり、座面が移動時に動きすぎたりと、利用者に「これこそが欲しかったんだ」と言ってもらえるような移乗器には、なかなかたどり着くことができませんでした。
図4 最初の試作機 (座面と背もたれが左右に分割する方式)(写真提供:イデアシステム株式会社)
図5 歴代試作機の一部。上から、全体左右分割式、ハイバック式、ワンタッチスライド式(写真提供:イデアシステム株式会社)
研究開発の加速のためにNEDO助成金を活用
そうした中、イデアシステムは、研究開発を推進するために、NEDOの「福祉用具実用化開発推進事業」へと応募することにしました。小林会長は、「私たちのような中小企業は、一度新製品を開発すると決めたら、社命を賭するほどの覚悟で開発をしないとだめなんです。とはいえ開発は、3年で済むと思っていたものが5年かかってしまうなど、予想のつかないところもあり、継続には資金も必要となります」と語ります。
開発開始から約半年後の2009年、イデアシステムはNEDO助成金の採択を受けることになりました。小林常務は、「開発のスピードを一気にアップさせることにつながりました」とNEDO事業参画の効果を説明します。
NEDOの助成を受けて、イデアシステムでは、さらに試作機をつくり続けました。ワンタッチで内蔵ベルトが動き座面がセットされるタイプ、座面ともども収められた背もたれを半回転させるタイプなど、これならいけるだろうというアイデアを次々と試作しました。介護施設などにも協力を依頼して試用してもらい、「こんな製品こそが欲しかった!」と思わせる、移乗器のあるべき姿を探っていきました。
また、使用感の追求ばかりでなく、最初の試作機が強度不足でアイデア倒れとなってしまったことを繰り返さないため、試作機の耐久性を確かめる作業も並行して行いました。その試験装置づくりにも、NEDOの助成金を活用することになります。
試作機に段差の上を何度も行き来させる走行耐久試験、試作機を何度も地面に落とす落下試験、試作機を傾かせてバランスを確かめる静止力・静的安定試験などを行う試験装置を開発し、試作機の耐久性や安全性を確かめました。
鉄製のおもりを移乗器に載せて強度や耐久性をチェックする落下試験装置。現在では様々な製品の耐久試験に使われている
BREAKTHROUGH プロジェクトの突破口
座面の材料との出し入れの方法が大きな課題
イデアシステムが試作した移乗器は、バージョン1から現行製品の元となったバージョン7にまで及びます。そうした試行錯誤を続けていく中で、少しずつ移乗器の形や材料、組立法などについて、開発の方向性を見定めることができるようになっていきました。数多い発想や重要な発見の中でも、小林常務らは開発の最重要点として、「座面の材料と出し入れの方法」と「フレーム強度の向上」を挙げます。
座面については、要介護者がベッドから移乗器に移ろうとするときは、じゃまにならないように、移乗器のどこか別の場所に収めておかなければなりません。そして、要介護者が腰を少し上げていられる短い間に、座面を素早くセットする必要があります。
NEDO事業採択時に試作されていた、ばねとベルトを組み合わせたワンタッチ式の座面収納機構。コスト、重量、操作性、耐久性など、改良すべき点がまだ多く残されていた
小林常務は、「その頃は、出し入れのしやすい、薄くて、軽くて、強くて、安い座面の材料をひたすら探していました」と話します。試作の段階から実際の移乗器づくりを担当した宮澤寛志さんは、「軽さを考えて、"すのこ"か"すだれ"のような4、5枚の板を並べる座面も試しました」と話します。
すのこ状座面の試作機(左)と、内部にグラスファイバーを編み込んだ座面の試作機(右)
移乗器のフレームにレール役を兼ねさせ、すのこ状の板を背もたれ内部までスライドさせて収めます(そのときだけ背もたれ自体は外します)。しかし、4枚板の座面は、利用者が腰掛けても位置がずれて動いてしまい、座り心地が不安定になってしまい採用には至りませんでした。
その後、二枚の板の内部をハニカム(蜂の巣)構造にした座面なども試作しました。しかし、体重に耐えるようにするには厚みがある程度必要で、素早い出し入れには向きませんでした。
そこで、繊維業界で使われる硬質ウレタンを使い、かつ、内部をグラスファイバーで強化することにしました。小林常務は、「色々と試した中で条件に適うのは、結局この材料の組み合わせしかありませんでした」と言います。
さらに、開発段階が終盤にさしかかったある日のこと、宮澤さんが、これまでにないほど単純な仕組みの試作機をつくりあげました。上下二つ折りになった座面が、背もたれの下に収まるだけの簡単なものです。
宮澤さんは当時の状況を思い出して言います。「会長に試作機を見せたら、眼の色が少し変わった気がしました。これはおもしろい、使えるということで、座面の収納法がやっと固まり、製品化が見えてきました」
座面をレバーで二つ折りにして出し入れ。ベッドから乗り降りする際は、背もたれとともに脱着(写真は製品化された「乗助さん」)
さらに、開発段階が終盤にさしかかったある日のこと、宮澤さんが、これまでにないほど単純な仕組みの試作機をつくりあげました。上下二つ折りになった座面が、背もたれの下に収まるだけの簡単なものです。
宮澤さんは当時の状況を思い出して言います。「会長に試作機を見せたら、眼の色が少し変わった気がしました。これはおもしろい、使えるということで、座面の収納法がやっと固まり、製品化が見えてきました」
フレーム強度を向上させる
しかし、製品販売までには、まだ課題がありました。耐久性の試験をクリアしなければ利用者に安全・安心に使ってもらうことができません。日本工業規格(JIS)の車いすでの耐久性試験の基準などに準拠して、耐久性試験を行いました。試験項目の一つである落下試験では、6,666回の落下でも破損しない耐久性が求められます。
小林常務は、「初めのころは、何度かの落下試験だけですぐに壊れてしまいました。その段階は何とか乗り越えたものの、完成まであと少しに迫りながら、細かいひびがフレームに入るという不具合が続き、困り果てました」と試験に明け暮れた日々を振り返ります。
そこで宮澤さんらは、移乗器にどのように衝撃が加わり、ひびが生じるのかを詳しく調べました。そして、二つの対策にたどり着きました。
一つは、足下付近のフレームを、1回で曲げてしまうのでなく、2回かけて曲げるようにしたことです。フレームの曲がり方が急なため、そこに力が集中してしまっていたのです。「これでだいぶよくなりました」と小林常務は振り返ります。
1回で角をつくるのでなく、2回曲げて力を分散させ、耐久性を強化したフレーム
それでもなお、耐久試験を繰り返すと、フレーム同士を繋ぐ溶接部分の周りに、かすかなひびが入ってしまいました。宮澤さんは、「機器の目的から考えても、わずかなひびでも見て見ぬふりをするわけにはいきませんでした」と言います。
そこで、宮澤さんは、溶接する位置をわずかに変更することにしました。すると力を分散させることができるようになり、ひびは生じなくなりました。宮澤さんは、「フレームに補強のあて棒を付けて強化することも考えましたが、コストや重量が増すため、できるだけ追加加工はしたくありませんでした。最後の溶接位置の調整は、これまでの製品開発で積み重ねてきた独自の感覚を信じて行った部分が大きかったです」と語ります。
シンプル・イズ・ザ・ベスト
イデアシステムの開発チームでは、文字通りのトライ・アンド・エラーを重ね、ノウハウを蓄積し、技術的な課題を乗り越えていきました。最初の試作機をつくってから実に3年4か月後の2011年1月、ついに「乗助さん」は発売の運びとなりました。
小林常務らイデアシステムの開発チームは、「乗助さん」の製品開発を通して、ある一つの結論に達したと言います。それは、"シンプルなものほど壊れにくい"というものです。
小林常務は実感を込めて言います。「利用者のためと機能を付加しても、複雑な構造になれば壊れやすく、結局お客様に安定して使い続けていただけなくなります。乗助さんは、信頼性を第一に考えた結果、特別な部品や装置を組み込まない、本当にシンプルな形状に落ち着きました」
また、全ての要介護者の要求に応えるような移乗器ではなく、「腰を少し浮かすことができる」という特定の層の人にとって便利な移乗器にしたことも、「乗助さん」開発成功の重要な鍵となりました。
小林会長は、「全ての人が使えるものにするということは、つまるところ誰にとっても半端で、満足して使っていただけない製品になってしまいます。たとえ乗助さんで移乗が困難な方が居らしたとしても、これがあって便利だ、本当に助かったと感じてもらえるお客様がいらっしゃるとすれば、それは道具としては、むしろ良い製品なのだろうと考えるようになりました」と話します。
ユーザーや専門家から得た意見を参考にしながらも、最終的には本当の"ウォンツ"が、どこの、誰の、何のためにあるのかを、自分たちで見極めたことで、乗助さんのシンプルで使い勝手のよい形が実現したのです。
特別な操作法や動力も必要のない乗助さんは、その形も無駄なくシンプルで、家庭に置いても福祉機器特有の違和感を感じさせない
FOR THE FUTURE 開発のいま、そして未来
患者に抵抗感がなく、介助者の経験値にも依存しない、使いやすい機器と評判
2011年1月の発売以来、200台ほどの「乗助さん」が、世の中で使われています。リハビリテーションに力を入れる病院などの施設のほか、在宅で要介護者の介護をしている家庭内でも楽なトイレへの移動に役立てられています。
長野県駒ヶ根市にある昭和伊南総合病院では、回転動作のない移乗方法が画期的だと実感し、「乗助さん」2台を採用しました。現場のスタッフからは、「患者さんが抵抗感や拒絶感を表すことはありませんでした」「介助者の経験値に依存せずに安全に移乗することができます」といった声があがっています。
イデアシステムは、2011年度のNEDO「イノベーション推進事業」にも採択され、「乗助さん」の改良を試みました。ここでは、真っ直ぐに安定して動くといった走行性、肘掛けが容易に上下するといった調節機能、そして丸洗いができる耐水性などを検討しました。これらの成果も、今後、「乗助さん」がバージョンアップをしたときに反映されていくことでしょう。
昭和伊南病院で実際に使われている「乗助さん」(写真提供:イデアシステム株式会社)
派生商品も発売、最終目標へ向けて
次のステージへ
「乗助さん」を開発したイデアシステムは、この成果を応用して、トイレで用を足すときの姿勢を楽にする姿勢補助手すり器具を開発し、「楽助さん」の製品名で発売しています。宮澤さんは、「同じつくりの部分が多く、『乗助さん』を作った経験が生きています」と話します。
イデアシステムにとって、移乗器や姿勢補助器具の開発、発売は、介護分野事業における最初のステージでの営みといえます。小林常務は、「『乗助さん』はトイレに行くための移乗器ですが、座り心地などをさらに向上させて、車いすとしての役割も果たせる介護機器にしていければと考えています」と話します。
「乗助さん」の開発経験を活かして販売された「楽助さん」(左)。前屈姿勢を取ることで排便しやすくなる。また、姿勢が安定するので一人でゆっくりトイレに入れ、介助者の負担を減らすことも(中央)。また、持ち運びが容易なため、車いすなどでの姿勢補助、転倒防止にも役立つ(右)(写真提供:イデアシステム株式会社)
さらには介助者なしでも、体の不自由な人が、ベッドからトイレへ移動したり、家の中を動いてまわることができるようなシステムの実現を、次の研究開発ステージとして、イデアシステムでは見据えています。
そして、最終目標である、体の不自由な人が外出もできるようなシステムの開発や当初の志であもる介護用ロボットの実用化に向けて、ユーザーのウォンツを掘り起こしながら、「あって良かった」と言われる製品づくりへの試行錯誤を現在も続けています。(2013年7月取材)
開発者の横顔
岡谷発の元気な2.5次産業企業
『2.5次産業』が経営方針の柱
「乗助さん」考案者の小林睦巳会長は、イデアシステムの創業者。長野県岡谷市出身で、東京からUターンを果たし、1987年に岡谷で同社を起こしました。製品を開発・製造することだけでなく、製品を販売・取引することにも力を入れた「2.5次型産業」を経営方針のひとつにしています。
介護分野へ参入については、「新しい市場にどう食い込んでいくかが大きな課題です」と話します。全国各地の病院などを訪ね、多くの意見を聞き、移乗器の拡販や改良、さらに新製品開発の道をつくっていきます。「お客さまの"ウォンツ"を満足させる製品をつくりつづけていきたい」
イデアシステム株式会社
小林会長
ものづくりの発想を異分野参入に活かす
小林弘常務は栃木県の高等専門学校の機械科出身。もともとものづくりが好きで、イデアシステム入社前はブレーキメーカーでブレーキの開発もしていました。イデアシステムでは、モニタリングシステムの開発に携わったあと、異分野への参入を視野に入れて、新たな企画を練ってきました。そこで立ち上がった介護分野事業。
「なにもわからない状態でやってきましたが、介護分野は中小企業向きだという気もします。新しい、こういうものがあるといいなと考えることは好きですね」。
小林常務は、従来から介護分野を進めてきた企業にはない斬新な視点を、乗助さんをきっかけに福祉機器の市場に持ち込もうとしています。
イデアシステム株式会社
小林常務
利用者の生の声を聞くのがうれしい
「乗助さん」の試作機をいくつとなく製作し、また改良も何度となく自分の手で行ってきた宮澤寛志さんは、現在はイデアシステムのグループ企業、イデアライフケアの技術グループの一員として福祉機器分野の市場開拓を担っています。地元岡谷市の出身で、東京で建設工事関連の仕事に従事していましたが、「いろんなことにチャレンジできそうな会社だと思って」郷里のイデアシステムへと入社しました。
宮澤さんは、「人づきあいのある仕事が好き」と言います。移乗器開発でも積極的に利用者の声を聞きに出かけます。「在宅で使っていただいているお客さまのところを訪ねると、3年も寝たきりだった方が『乗助さん』を使い始めて、トイレまで行けるようになったと、家族と一緒に喜んでいらっしゃいました。福祉機器の分野は、ものづくりだけでなく、そうした利用者の生の声を聞けることが、とてもうれしいですね」
イデアシステム株式会社
宮澤さん
なるほど基礎知識
従来の移乗器につきまとう負担と危険
「できるだけベッドに伏せているだけでなく、体を起こして少しでも動くことができれば……」
これは要介護者本人も、周囲の家族や介助者も願うことです。その助けとなるのが、様々な移乗器と呼ばれる道具です。
移乗器は、立ち上がって歩くことができれば意識することはないでしょう。一人で立ち上がることができても歩くことが困難な人にとっては、「手すり」も移乗器の一つで、大きな支えとなります。
一方で、自分で動くことのできない人には、「吊り上げ式リフト」といった大掛かりな移乗器もあります。また、要介護者の腰まわりに巻いて、立ち上がったり歩いたりするのを介助者が助けるための「介助ベルト」といった器具も使われています。
これらの移乗器は、要介護者が動ける状態にあるかどうかといった度合により、用途や対象が変わってきます。しかし、従来の移乗器の大半が、ベッドから移乗器へと移るときの負担や危険が大きいということです。
介助者が一人で要介護者を支えるとき、多くの場合、要介護者の脇の下から腕を入れて、要介護者の背中や腰に手を回すことになります。介助者の腰には大きな負担がかかります。また、要介護者が移乗器に移るとき、足の踏みかえをしなければならず、バランスを崩すと転倒してしまいます。要介護者にも介助者にも負担が軽く、かつ安全な移乗器の普及が、求められています。
図6 要介護者の体の状態と介助者の負担から見た、様々な移乗器の位置づけ
NEDOの役割
「福祉用具実用化開発推進事業」
このプロジェクトがはじまったのは?
高齢社会の急速な進展に伴い、安全で安心した生活を実現するためには、多様な福祉ニーズに対応した、様々な福祉用具の研究開発、普及促進を図ることが、社会的な急務になっています。そこで、政府では1993年に「福祉用具の研究開発及び普及の促進に関する法律(福祉用具法)」を施行して、福祉用具の普及や開発を促すこととしました。最近の施策でも、2011年に閣議決定された「第4期科学技術基本計画」に、ライフ・イノベーションの実現に向けて高齢者や障害者の生活の質(QOL)の向上や介護者の負担軽減を図る技術の研究開発を推進することが盛り込まれたほか、その前年に閣議決定された「新成長戦略」でも、わが国の強みを活かす成長分野として「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」推進が示されています。NEDOは、福祉用具法において、福祉用具の技術向上に役立つ実用化研究開発を助成すること、福祉用具に関する情報収集、情報提供、その他の援助を行うことと規定されており、同法施行より継続して本助成事業を実施し、超高齢社会に対応する製品の実用化支援するとともに、福祉機器産業の育成に力を入れてきました。
プロジェクトのねらいは?
障害者や高齢者にやさしい社会の実現のため、福祉用具開発への期待が高まっています。しかしながら、福祉用具は一般的に市場リスク・開発リスクが大きいため、新たな技術が開発されても、企業が単独でその技術の実用化を図ることは非常に困難です。また、福祉用具メーカーの多くは中小企業であり、経営基盤が脆弱な中での研究開発への投資は大きな負担となります。福祉用具の実用化を促進するためには開発時のリスクを軽減することが重要になります。NEDOでは、優れた技術や創意工夫のある実用的な福祉用具の開発に取り組もうとする事業者を支援するために本プロジェクトを実施し、1993年度から助成金交付を開始、2012年度までに202件を採択。2014年3月現在102件が実用化しています。長野県岡谷市のイデアシステムでは、介助者の負担が大きく、要介護者のQOLにも直結するベッドとトイレの往復を容易にする「らくらく移乗器 乗助さん」(製品名)を、本助成金を利用して実用化しました。派生製品も生まれ、福祉分野への異業種参入を果たすことができました。
NEDOの役割は?
NEDOでは助成対象を選定する際に、(1)研究開発の対象となる福祉機器が、同一の機能、形態の製品が存在しない、新規性、研究開発要素を持っていること、 (2)その事業が、利用者ニーズに適合し、研究開発要素を有する等、助成金交付の目的に適合するものであること、(3)その実用化開発により、介護支援、自立支援、社会参加支援、身体代替機能の向上など、具体的な効用が期待され、一定の市場規模とユーザーにとっても経済性に優れていること、を支援の前提として、外部有識者による事前書面審査・採択審査委員会を行い、公正に支援企業を決定しています。また採択された企業に対しては、開発状況の確認を行うとともに、開発品の展示会への出展支援も行っています。
関連プロジェクト
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